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-- 突撃砲への道 --
サン・シャモン 突撃戦車 (フランス)
サンシャモンはドイツ突撃砲の直系のご先祖ではない(フランスだし)ようですが、カーゼマット式(限定旋回式の砲と重装甲のタイプ)と思われるんで、先祖の先祖くらいに位置づけてもいいのかな。
コイツの駆動方法はかなりヘンタイで「エンジンで発電してモーターを回す」と言うモンで、機械式のトランスミッションとか偏向装置とかが必要ないからGOOOO!
っていう筈だったんだけど、左右のモーターの回転数を同調させるのに苦労したらしいよ。
第一次大戦の戦車の話し
第一次世界大戦に出現した戦車は、膠着した塹壕戦を制する目的がありました。
塹壕を乗り越えて鉄条網を踏みにじり、歩兵の突撃を阻害する機銃陣地を砲や機関銃で耕やす。
このコロは歩兵の突撃を支援するのが戦車の役目で、人が移動するよりも早く自走する理由もなく、大体最高速度でさえ時速10kmくらいでした。
一次大戦期の戦車は以下のような感じで塹壕を蹂躙します。
1:マーク1系の菱形戦車を模したネリケシ戦車
戦車を盾に歩兵があとからついて来る。
2:塹壕のモデル
3:鉄条網を蹂躙し
4:塹壕の中にある機銃陣地を順に耕す
5:塹壕は多列ある場合があるので乗り越えて進撃、次の目標へ
こんな感じです。
イギリスは「蹂躙戦術」と言う戦法を編み出しました。
これは複数列ある塹壕を、複数の戦車で同時に耕すと言う戦法です。
フランス側がサンシャモンを使ってどう言う戦法を採ったのかはよく解りませんが、見た感じ長い砲身と比較的口径が大きい7.5cm砲(イギリスやドイツは
5cm前後)と言う事を考えると比較的長距離での戦闘を考えていたものと思います。 この砲は最大射程が6kmに達するので多分そのつもりだったのかな?
砲の能力は申し分ないのですが、車体が長すぎて塹壕にひっかかり身動きが取れなくなるダメッ子でした。
WDツェリッパー (ドイツ)
この何ともいえない自走砲みたいなのは、
ハノーファーシェン機械製作所のWD型全装軌式車輌シリーズの50式って言う耕作機械に、
ラインメタル7.7cm野砲FH96/16を搭載した車輌で、後のドイツ軍突撃砲のルーツみたいな車輌。
ベルサイユ条約が解禁となり、兵器製作が自由になったドイツが、自走砲の製作を再開した、その先端です。
この車両は
今で言うと、ヤンマーとかのキャタピラトラクターに60mm迫撃砲を乗っけたようなモンかな?
「新人の砲兵は、復座した砲尾で怪我をする事がある。」
大砲は復座っていって砲身が後退して反動を吸収するようになっている。
発射した時に勢いよく砲が後退して、若い装填手がそれに当って怪我をすると言う事がたまにある。
そのせいではないがWD50式は完成度が低く不採用になった。
RKツェリッパー (ドイツ)
不屈のドイツ魂はお腹を痛めただけでは動じません。
この「またか、進歩しないな」感がムンムンの車輌は
マッファイ社の半装軌式牽引車RKの荷台に7.5cm砲 Kw.G.14を搭載したもの。
同社の自主製作のようです。
実はこの車両と上記の車両との間にクルップ社が「いい大砲が出来たから、車体に乗せよう」と言うことで作ってましたが、車体の方がイマイチだったのでぽしゃりました。
イラストの右上に描いているのは「月刊グランドパワー06年1月号の40P」に掲載されている横図を参考にて描いたデフォルメ。
見たとおり車体の完成度が低くてNGを食らいました。
この車体の話をちょっとすると、車輪の間の履帯は普段はワイヤーで持ち上げられていて、必要な場合はおろして使うようです。 おろした後、どうやって固定するのかはちょっと謎ですが。
見たとおり、履帯そのものが車体長からくらべて短いので、急な坂とか極端な悪路では、前後のタイヤがツッカえてしまうのではないかな? と思ったり。
牽引車とあるので、砲牽引が主目的かもしれません。
搭載砲の向きが逆に見えますが、多分後ろを向いて攻撃するもんだと思います。
↓こんな風に
余談だけど、ヒットラーは女性に弱くてウブだった、と伝えられています。
1930年コロのヒットラーはと言うと、まだ首相にすら任命されていなく、
ナチ党の議席数を増やそうとがんばっていたコロだと思います。
なのでこの場に彼がいるのは間違いです。
ヒットラーが兵器の採用に口出ししてたのは、
ヤクトパンターのコロにはやっていたようなのでそれ以前だと思います。
突撃砲開発着手 (ドイツ)
さてさて、一連の失敗作に対して先見の明がある将校
(エーリッヒ・フォン・マンシュタイン、当時陸軍参謀本部作戦部長、のちに陸軍元帥、ヒットラーにツッコミを入れることが出来る数少ない軍人)が、突撃砲に対して価値を見出したわけですな。
二次大戦初期のドイツと言えば、電撃戦。 電撃戦と言えば二次大戦初期のドイツな訳です
、開戦初期のドイツ戦車の武装が機関銃だった所から、ハードの面では他国から劣っていたと言えます。 やはり電撃戦はソフト(運用)の勝利と言えます。
電撃戦のキモは、その名の通り雷が走るみたいに、スピーディーに敵地を蹂躙する所にあります。
敵が奇襲の混乱から立ち直る前に叩いてしまう、というのが要約なんですが、
そのためには戦車が結構な猛スピードで敵地を突っ走る必要があるわけね。
可能な限りスピードを出して走って、敵の銃火をウロウロしながらかわしていただろうから、歩兵が徒歩でノコノコついていく訳には行かないと言うことになる。
第一次大戦では戦車は歩兵が進撃するのとほとんど同じスピードで進撃していたから、歩兵の盾はつまり戦車となっていた。
ところがこの電撃戦では、疾走する戦車に歩兵が置いてきぼりをくらい、盾のない状態で進撃しなくてはならない。
戦車が先行して混乱させているとは言え、トーチカや打ち漏らした戦車などは、生身の人間からしたら十分な脅威になる。
と、ここで突撃砲の出番となるわけですよ。
歩兵支援が主任務なのですが、当初から対戦車戦闘(事の果てには戦車の変わり)を視野に入れた設計でした。
そのため、突撃砲は、タダの自走砲とは、重装甲と言う面で、性格が異なる訳です。 じゃあ戦車駆逐車となにが違うんだ、と言われたら、基本的な車体の構造
に突飛に違う所がなく、せいぜい照準器が直接照準か、間接照準(座標で狙いをつける)かの違いくらい。 間接照準器は砲部隊向けの装備なんで、戦車部隊
か、砲隊か運用の差くらいですねぇ。
あと、戦車駆逐車と突撃砲の違いは、突撃砲は攻撃命令を受けて、現地まで到着する間に歩兵を随伴するわけです。 特に危険がない場合は、随伴の歩兵を車両後部のエンジングリルの上に乗っけて移動する訳なんで、車両後半が平らになっています。
戦車駆逐車の代表ともいえるような、ヘッツァーは、車両の後半部分が斜めになっていていかにも乗りにくそうですよね。
ほいで↓が1943年のドイツ装甲師団の編成。赤字部分に3突がいる。
装甲師団司令部
├戦車連隊
│ ├戦車大隊(一部に戦車の補充とか数あわせに)
│ └戦車大隊(一部に戦車の補充とか数あわせに)
├装甲擲弾兵連隊
│ ├装甲ハーフトラック化大隊
│ └トラック化大隊
├装甲擲弾兵連隊
│ ├トラック化大隊
│ └トラック化大隊
├砲兵
│ ├対戦車連隊 ヤクトパンター戦車駆逐車
│ ├対空連隊 88mm牽引対空砲
│ ├15cm牽引砲連隊
│ ├10.5cm牽引砲連隊
│ └10.5cm自走榴弾砲連隊
└工兵大隊
現代戦車のテクノロジー、日本兵器研究会編、アリアドネ企画、122p参照
と言うような感じで、戦争初期には、砲兵隊に編入され、戦争後半(43年、ツィタデル辺り)には戦車部隊に編入されるようになって行った。 砲兵部隊の突撃砲不足に対しては10.5cm突撃榴弾砲が補充されるようになった訳です。
III号突撃砲 A型初期
さて、記念すべき極初期型。
A型でやんす。 A型は一次生産型と二次生産型があるのですが、これは一次生産型です。
部隊編成始めは1939年11月から。 独立砲兵中隊を新編成してその中へ。
部隊ツリーはこんなの
独立砲兵中隊本部
│ └SdKfz253 軽装甲指揮・観測車×1
├第一小隊
│ ├SdKfz253 ×1
│ ├SdKfz252 軽装甲弾薬運搬車 ×2
│ ├三号突撃砲
│ └三号突撃砲
├第二小隊
│ ├SdKfz253 ×1
│ ├SdKfz252 軽装甲弾薬運搬車 ×2
│ ├三号突撃砲
│ └三号突撃砲
└第三小隊
├SdKfz253 ×1
├SdKfz252 軽装甲弾薬運搬車 ×2
├三号突撃砲
└三号突撃砲
SdKfz253/252の指揮観測車と弾薬運搬車は生産が間に合わなく、SdKfz250中型装甲兵員輸送車や1号指揮車、1号戦車改造の弾薬運搬車などに取って代わっていたようです。
初めての実戦参加は、フランス進攻にて。 コイツと同型のA型でした。
フランス進攻の後に突撃砲大隊へと変化しています。
短砲身型は、F型までのBCDEとなり、戦争終盤まで生き残る車両も珍しくなかったようです。
III号突撃榴弾砲 F型 10.5cm砲装備
戦車部隊に突撃砲が引き抜かれて、その変わりに砲兵隊に補充された10.5cm突撃榴弾砲
III号突撃砲 G型 最後期