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  └エーデルワイスと他

↓主人公の、現実的な台詞

↑スーパー戦車エーデルワイス。2人乗り
現実の戦車は5人〜3人乗り。
実戦的な数字は4人以上(by I・タル)




ゲーム中では相手を殺した後に心底にっこり笑うヒロインのアリシア ちゃん19歳パン屋を目指すカレンな恋する女の子。
↓のようなシチュエーションを求めた消費者は・・・





↓おおよそ裏切られる。

↑戦争は糞だ最悪だのシナリオの後も元気に殺戮を繰り返す。
さすがにこの展開には笑えた

そういえばこのゲーム、捕虜とか「過剰な苦痛」とかの概念が無いな・・・
各ミッションにはランキングがあるのだが、歩兵に戦車砲を撃ちこんでも減点されない

↑のイラストではユダヤナイフで攻撃した事になってるけど
最短距離の攻撃にはとっても精神を使う
人間は本質的に殺人を嫌い
近距離では相手の人間性を否定できず、攻撃を躊躇する場面がある
こういうリアリティの面において日本のゲーム開発は非常に立ち遅れている




敵は一律して20歳前後の男性でいて無個性である。
ここは気合を入れて男女混合、顔グラの自動生成をして欲しかった(無理!)

戦闘
物で重要なのは「人を殺した」と言う実感と
継続する事で発生する感覚の鈍麻と、鈍麻の自覚
この二点
これら二点が押さえられているのはおおよそ海外の戦争ゲーとなる。
国産でそう言うものはお目にかかったことはほとんどない。

上記の二点の他に、社会的なバッシング
(帰ってきた所に「Stop The War!」とか言われてタマゴ投げられるとか)
戦友の死、非戦闘員の殺害なども重要な点と言える。
 

-- 戦場のヴァルキュリアで実戦に興味を持った人がもし居た場合 --


さてさて、「大上段を構えておいて小手」と表現した記憶がある。
そう言うように、この戦場のヴァルキュリア(以下戦バ)はミリタリーファンからすると非常に肩透かしを食らった印象を受ける。

細かいことを言い出すときりが無い。
狙ったプレーヤー層や、それに合わせた設定のバランスを考えたらどっかにシワ寄せが来るんで、ミリタリーファン以外のヒトからしたら割とどうでもいい部分から切って行ったのかと思います。

ただ、その切り方が乱雑だったのか、
どうでもいい事を差し引いてもなお、目立つ部分を幾つかチョイスしてウンチク垂れました。

長々と書いてますが、最後の五行くらいにおおよそ凝縮されているので、面倒な人はソッチをどうぞ。


リアルな情報の仕入先
各テレビゲームや小説、マンガなどで戦争物に興味を持つ人は多いと思う。
最初の第一歩にミリタリー系の書籍に足を突っ込むのが、安価でまとまった情報を手に入れる良い手段だと思うのだが、
各書店のドクトリンによってミリタリー物の扱いは天と地の差がある。

また戦争手記などもまとめて扱わない場合がある。 文庫として棚に並んでいたり、ハードカバーの棚に並んでいたりで書店で探すには何かと不便が多い。
書店をしらみつぶしに探し、ミリタリーコーナーを設けてる素晴らしい本屋を探す必要がある。

アマゾンと言う手段もあるが、書店で立ち読みして内容を吟味したり、フイにストライクな本が見つかったりする事があるので、可能な限り書店で探すようにしたい。

太平洋戦争の手記などマイナーすぎてもう店頭にないものもあるので、図書館や古本屋もわりと穴場ではあるが、やさしい本は少ない。

一番手っ取り早いものに歴史群像シリーズや、おおよそその近辺に配置されているイラストの多いミリタリー書籍/雑誌などから手を付けていくといいかもしれない。

DVD!DVD!
ミリタリー物の映画や記録映像、ドキュメンタリー、過去の白黒映画などなど、掘り出せばきりがないが、こちらも書籍同様、まとまってミリタリー物と言うくくりで店頭にならばない。
最近では白黒のドキュメンタリがホームセンターの一角にある安DVD売り場にさえ存在する事がある。
貴重な情報であったりそうでない場合があったりするので、コツコツと情報を仕入れて気長にやっていく事をお勧めする。

戦車に関して
他でも割と話題になりやすいスーパー戦車エーデルワイス。
部隊単位の人間ドラマを描き、且つ訳が解らなくならないように、と言う配慮からだろう、戦バでは戦車は一人で乗りこなせるように書かれている。

それでは実際はどうなのだろうか?

実際の二次大戦時の戦車は4人〜5人乗り。
内訳は
「戦車長」(戦車の中で一番偉い人、この人がなにかをミスすると全員の命が危うくなる、話の中ではウェルキンとかがこの係り)
「砲手」(狙いを付けて撃つ係り、この人が弾を外すと全員の命が危うくなる)
「操縦手」(戦車を運転する係り、この人がヘマをすると全員の命が危うくなる、話の中ではイサラがこの人の位置に座ってる)
「装填手」(戦車砲に砲弾を装填する人、体力勝負だが、ほとんど手探りの車内で砲弾を間違えないように装填する器用さも要る)
「無線手」(無線を操作する人、車体の機銃手でもある場合もある、重要度は低い)
となる。
因みに、戦バのエーデルワイス内では、戦車長にウェルキン、その他全てをイサラが担当していると見受けられる。
公式設定では砲手/戦車長と無線/操縦と言う分けだが、
ウェルキンが大声で「撃てーー!!」と言っていたり、イサラが「兄さん、次の目標は?」と聞いている事から砲手もイサラと推測。
また、ウェルキンの仕事が随伴歩兵の指揮も任されているようなので余計砲手は務まらない。

・・・
これが現代のM1エイブラムスになると、無線手が欠けて4人。
90式戦車やルクレールなど自動装填装置が付いてるので、もう一人かけて3人。

ただこの3人と言うのは、実戦で戦車が生き残るには不足しているのではないか? といわれている。
イスラエルの戦車設計のドンとも言えるタル将軍が「戦車が実戦で生き残るには最低4人必要」と言っている。

戦車を乗り回すには三人で事足りるだろうが、色々故障したりするといちいちパーツが重たい戦車では修理に重労働だろうし、戦車を乗り捨て自陣まで走って逃げる場合も三人では心もとない。

戦車が故障するのか? と、お思いかもしれないが走攻守を極限まで高めている戦車は、常にエンジン全開でいてトランスミッションにも負荷を掛けるし、砲照準の調節をするデリケートな油圧系統を持っているため割と故障しやすく、念入りな点検調整が必要になる。

戦車を常時可動させるには代わりのパーツの確保、輸送、現場での創意工夫等が必要になる。
二次大戦のドイツでは戦車部隊に、小さな工場のような機材を積んだトラックが付いて回って、ちょっとした部品を現場でまかなったりしていた。
現代のM1戦車等ではエンジン部分がブロック化し、壊れればまるっと交換できるようになっていて、修理の時間を短縮している。

壊れない車を作る日本でさえ、74式戦車を使った訓練の時は、砲塔が動くが走れない or 走れないが砲塔が動く と言った車輌を織り交ぜて訓練しているのだから、戦車は意外とデリケートなのが理解できると思う。

とどのつまり、高性能戦車が一両あったからどうなる? と言われれば
「100Km走れば鉄くずになる、ワンオフなら代えのパーツも無いので乗り捨て」と言うのが真っ当な答えだろう。




戦闘心理に関して

近代的な戦争システムそのものは第一次大戦でおおかた完成しているのだが、戦闘心理に関してはベトナム戦争辺りで開花し、現在進行形で進歩を続けていると言ってもいい。

戦闘によって受ける心理的ストレスというモノが近年になって解明され、対抗策を色々考案されつつあると言う事と、以外かもしれないが、そう言う書籍が一般に出回っていると言う事。

そしてそう言う事がこの戦バではスルーされている。
はつらつと戦場を駆け回り、何十人も、目の前で撃ち殺しても少しも戦闘力が減衰しないところを見ると、大人の都合か、知らなかったのだろか、もしくは新手のギャグ、としか理解出来ない。


最近イラク戦争などのニュース記事に出てくる言葉にPTSD(心的外傷ストレス性障害)がある。
古い物ではシェルショックと呼ばれたり、ベトナム戦争症候群とか呼ばれていたり、内容が酷く曖昧な時代も存在した。

PTSDは解りやすく言うと"トラウマ"と言える。
戦場でとてもいやな経験をするとトラウマとなり心に傷を負い、酷いケースでは自殺へ至る。


トラウマの原因の一つに、どれだけ実感をもって殺人を行ったかというモノがある。
敵との距離が短かかったり、間に介在する機械がなくなれば無くなるほどより深いトラウマが刻み込まれる。
(至近距離で相手の目を見ながら発砲、殺害したりすると精神的なダメージは大きく、一生忘れられない)

戦場で戦う兵士と言うもんは平時ではごく善良なお兄さんお姉さんで、生まれた時から殺人者と言うわけではない。
そう言う人が戦場に出て行って自分と似たような人と対峙し、無神経に発砲できるだろうか?
おおよそ後悔の念が、大小心にひっかかる事になり、トラウマへと発展する。

殺人に対する抵抗感の他に、戦友の死、非戦闘員の殺傷、帰還後に平和団体から浴びるシュプレヒコールなど、精神的に不健康な物は大方原因になりうる。

こういうトラウマに対して、色々と対抗策を練り始めていて、戦闘部隊を一人ずつ入れ替えるのではなく、部隊単位で入れ替えたり、戦地からの帰路を船旅などにして、仲間と共に心の傷を癒す時間を設けたり、まぁ色々あのてこのてを考えている。
(陸自もイラクからの帰路を船便にしている)

この戦バの全体の戦争観が、太平洋戦争を過ぎた頃あたりからあまり進歩していないように感じる。
つまり、敵はみんなまとめて敵で、何匹ぶっ殺しても一ミリも心を動かす事は無く
(戦バでは一ミリは動いてるが全体のテイストのお陰でぶち壊し)、大将をブチ殺せば結果オーライ。
そう言う乏しい戦争観をこの作品からチラホラ見受ける。

近代的な戦闘心理も織り交ぜれば、なんか浮いた感じも解消できたかもしれないし、或いは、表現がマイルドな分そう言うリアリティの描写に適していたかもしれない。


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この話では主要なメンバーは5人なので戦車部隊の話にしてれば無理した設定も必要ないし、僚機に5人必要だし、あとは随伴歩兵でまかなえばいいんでないかな? と思えてきてしまう。
それに戦車戦メインなら相手に個性は求めないし、ふっ飛ばしても良心の呵責はほとんどない(実戦でも同様に、戦車戦では人を殺す感覚が薄い)
なので、「泥まみれの虎」みたいに内容だとミリオタ的にもGJになったのではないか?
(結局そこかよ!)


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